県教育委員会の調査報告書には、後野の高手山城、その近隣に点在する正連寺山城や、三ツ子山城、 |
潰城、小山城なども城郭調査結果が掲載されている。 |
高手山城跡 高手山々林 明確な遺構なく所在不詳 |
正連寺山城跡 正連寺山々林 丘陵頂部 郭・腰郭 |
潰城跡 山林 丘陵先端 |
小山城跡 明確な遺構なく所在不詳 |
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10世紀中頃、 岡本(生地・近江国浅井郡岡本郷の藤原氏)祐顕・正信の兄弟で石見国 国府に来住。 |
後に、 祐顕は神主家(三ツ子山城跡・三宮神社)の祖となる。 |
正信は今福に土着し、 正信五世恒数の子 俊綱は、戦国期の天正17年4月、福屋攻めで |
吉川氏を助けて軍功を挙げ、 後野・佐野・来原の荘官に任ぜられたと云う。 |
俊綱自らは、家督を長子の綱邦に譲り、後野の土居城に移った。 |
其の後、 俊綱は後野・大迫名内の開墾に尽力。 俊綱の子 俊氏は、長男の俊次に後野名を与え、 |
次男の綱次を伴なって隠居し、旧岡本家を二分して、大迫名に別家の岡本家を建た。 |
爾来、後野名の岡本家は、徳川時代・明治時代を経て昭和時代に至る。 |
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岡本俊綱は、近世後野村庄屋や伊南村、浜田市の要職を務めた岡本家(屋号・薮土居)の初代。 |
石見軍記に「土井城」と記される岡本家屋敷は、昭和34年12月の火災で焼失した。 |
焼失を免れた門は黒川町に、土蔵は宇津井町の河上家に移築されて、 |
土居城跡地は、浜田道 後野トンネル工事により埋立てられた。 |
県道5号線 バス停 『薮土井』 の傍に往事を偲ばせる墓所がある。 |