後野 岡 本 氏 |
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遠祖祐時は大中臣氏より出で、承和の頃、衛府に出仕し、橘逸勢を討ちて功あり。 |
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近江国浅井郡岡本郷に居り燧城に拠る。依って岡本を家名としたと云う。 |
祐時の子、祐顕と正信兄弟は、共に天慶の乱で小野好古に従って藤原純友を討つ。 |
兄弟、石見に下り陣を三隅郷の向野田に構え、純友の残党を討ち功に依って同郡の今 |
福、三隅向野田、河内中多比山本、来原中坪の諸地を賞賜しせらる。 |
尚、残党討滅の為に今福に止まり、後に農に帰したが世々土豪以って顕われていた。 |
正信の後裔である秀宗は、応仁元年7月に三男の秀治の戦功により、三隅豊信(兼連 |
八世の孫)より領地を給せられ、明応2年3月に池田名の領主となった。 |
秀宗 五代の孫、俊綱は弘治・永禄の間、毛利元就に従いて功あり。 |
後野・大迫両名のを得て元亀3年、俊綱は今福の家を長子綱邦に譲り、自らは二男俊 |
氏を連れて後野の地に別家した。 |
天正年間、石見守護代の 繁沢元氏(元就の孫)から、改めて俊綱に後野・大迫の地を |
給わす証書を渡された。 |
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